第3回信濃川エコツアーに参加して

第3回千曲川エコツアーに参加して

教えられた「信州人の進取の精神」

 北信濃の自然と情緒にふれながら、当会の原点を確認する旅(5月25日~26日)となった。 雪の黒姫山を眺め、ブドウ畑を抜け小布施へ。北斎館近辺には小さな美術館や食事処が立ち並ぶ。ほくほくの栗おこわを味わう。文人墨客が愛した美しい風景をいまも堪能できるのは、「土地の恵み、農業を大切にしてきたからだ」(文化観光協会)。
 須坂市シルキーホールで第4回総会記念イベント「河川シンポジウム」に参加した。根津東六さんが信濃川の宮中ダム周辺の現状を報告。JR東日本の不正取水が露見してから5年がたつ。試験放流量は年々減少傾向にあるとみられ、「JRは毎秒40トンで固定しようとしているのでは」との疑念が深まる。1984年に十日町市長が国鉄との協定書を専決処分したため、30年間の水利権更新までには、1年余しかない。「JRとは共存共栄を図っていきたい。子供たちが遊んだ豊かな自然を取り戻したい」との思いが伝わってきた。
  大野峰太郎さんは、飯山盆地の治水を東京電力西大滝ダムが妨げている、と訴えた。「国交省の河川整備計画案では、地元の不安は解消されない」として、「河川整備は下流から」の鉄則を守るよう求めた。河川法は「計画を作成する段階で、住民の意見を反映させるために、公聴会を開くなど必要な処置を講ずる」と決めているが、法の精神はないがしろにされている。参加者は「河川を住民に取り戻すためにも、河川法の改正や水基本法の制定が必要」との思いを共有した。福島原発事故によって「原発もダムもクリーンエネルギーではなく、同じ問題構造を抱えている」との意識は浸透してきた。矢間秀次郎さんが高知県の窪川原発を断念させた住民運動をリポート。原発マネーを拒み、郷土の恵みを子孫に引き継ごうという責任感が、住民運動を支えたことを明らかにした。矢間さんは監督に若手の笠原崇寛会員を迎え、ドキュメンタリー映画「しろうお~原発立地を断念させた町」を製作中。自ら脚本も担当。総会では、映画を後援することを満場一致で決めた。

 「平野屋」で懇親会。旅のご縁は広がり、宿の関係者が小水力発電を運用していることが分かった。翌日さっそく、須佐市内の施設を案内していただいた。農業用水路を利用し、地元の「大日向桜・里地を守る会」が昨年設置。水車の音が癒しの空間を作り出す。最大出力は300ワット。アシスト自転車やシニアカーの充電器にも利用できるなどの工夫をこらし、「信州人の進取の精神」を教えられた気がした。
 

  最後に千曲市姨捨の棚田を見学した。耕作放棄地を市が復旧し、水管理など棚田の維持のため、地元有志で設立されたのが、「名月会」だ。当会会員でもある渡辺すみ子さんらに手厚いもてなしを受けた。メンバーは14人で平均年齢69歳。初夏の日差しに照らされると、草刈りの苦労が想像されるが、みんな若々しく、意気は高い。千曲川・信濃川流域でご活躍の方々にお会いし、元気をいただいた。エコツアーのだいご味を満喫した、凝縮された2日間だった。
                                            山口 昭(正会員)

第2回千曲川エコツアーに参加して

晩秋の小水力発電所見学の旅

安孫子誠也(賛助会員)

    今年10月に開かれた脱原発シンポジウムで表記エコツアー(千曲川・信濃川復権の会主催)のチラシを頂戴した。大分迷ったが、ダム式発電所と砂防ダムの違いを知りたいと思い、参加することにした。

   11月19日正午、松本駅から、あいにくの雨の中、「渓流保護シンポジウム」会場に向かった。基調報告では、砂防・治山・河川の治水3事業間の違いと関連性、2000年代以後国家的には自然環境保全の方針が打ち出されながらも現場にはまだ行きわたっていないこと、それでも群馬県の赤谷プロジェクトなどで原始的渓流復元のため数々の措置が講じられつつあること、などが論じられた。それにより我が意を強くした。

    

  山水館の前で記念撮影(安孫子さん提供)
  山水館の前で記念撮影(安孫子さん提供)

    16時にシンポジウム会場を中座し、小型バスで乗鞍高原温泉「山水館」へと向かう。運転手は、実は乗鞍高原ホテル・山水館の社長さんだそうだ。山水館は標高1500m、白樺の林に囲まれた高原の宿ながら、設備は大層立派だった。白濁した木造りの温泉にはひなびた情緒が溢れていた。私は、外環道検討委員会代表の方、毎日新聞記者の方と相部屋になり、いろいろ教えを賜った。懇親会では、地元の食材を使った食べきれないほどの料理わ頂きながら、それぞれの方々の貴重な体験を伺うことができた。

浅刈砂防ダムと発電所
浅刈砂防ダムと発電所

翌朝、再びバスで信州聖ヶ岡高原にある大岡浅刈小水力発電の見学へと向かう。途中、小雨まじりの曇り空ながら、紅葉を楽しむことができた。ぬかるみを歩いて、浅刈砂防ダム下に水車型発電機を設置した最大出力6.7kwの小規模発電所へと辿り着いた。電力は大岡小・中学校に供給される。長野駅前で、運転してくださっていた社長さんに感謝しつつお別れし、別のバスに乗り換えた。今度は、木島平村営馬曲(まぐせ)川水力発電所に向かう。

    ここは落差65m、最大出力95kwの馬曲温泉専用の発電設備で、温泉支配人の方の説明があった。砂防ダム上の取水口には除塵装置があり、手入れが大変だそうだ。契約により農業用水を確保した上で、余った水を発電用に使用するとのこと。使い残した電力は中部電力に売り、足りないときは買うという仕組みだが、売る時の値段は買う時の値段の半分だという。この発電所は、オイルショック時に当時の木島平村長が建設省に願い出て、ご苦労の末に完成させたものとのことだ。

 まだ17時前で時間は早かったが、「パノラマランド木島平」というホテルで解散の夕食会が催された。こちらでもまた豪勢な夕食を堪能させて頂いた。来年は、秩父から参加された方々を中心に、長瀞で「水郷水都全国会議」を盛大に開催することなどが話し合われた。

 以前、白神山地ブナ林見学ツアーに参加したときに感じたのと同じく、今回も懐かしさを伴う心地よい後味が残る晩秋の旅であった。

 

                                        (「奔流」第6号から)

信濃川エコツアーに参加

自然の美しさの中で豊かな社会を

              田口 康夫 (渓流保護ネットワーク・砂防ダムを考える)

 

  私は信濃川の最も上流側に位置する松本市に住んでいる。元来、川の自然が大好きで、様々な河川環境の保護運動にかかわっている。長野県も広く長いため北信まで足を伸ばすことは少なく、東電西大滝ダム、JR東宮中ダムの問題は、新聞報道などで仄聞していて一度は現場に行かなければと思っていた。そこで今回のエコツアー(2010年11月13~14日)に参加してみた。

  建設後70年ほどのダムは修復してあるものの老朽化が目立つ。百聞は一見にしかずで、想像していたとおりの姿だった。魚道は現存していたが、「十分に機能できない構造的な欠陥がある」との指摘に合点がいく。70年近く放置されてきたこと自体、魚を馬鹿にしてきたばかりでなく、関係者の〝河川愛護.を疑う物証である。こんな状況の中で、子どもたちにサケの稚魚放流を続けさせてきたのかと、その道の専門家に問いたくなるほどだった。

    東電の説明者が「環境に配慮」と盛んに述べ、「前は魚道の登り口から一番遠い方のゲートを開けていたのだが、今は最も近い方のゲートを開けている」と自慢げに言っていたのが印象的であった。つまりこの程度の認識で全てが動いていたのだ。

  宮中ダムの違法取水が判明し、その後の放流で川に帰ってきたサケが若干増えたことは報道で知っていたが、実際に十分な流れを見ると、本来の川はこうであるのだという説得力は文章で読むのとは大違いであった。

   十日町情報館でのシンポジウムでは、 元川漁師の田中昭治さんと根津東六さんの対談が面白く、ダムの大量取水が無かったころの大漁、珍魚ばなしがリアルに感じられた。川の水量が戻ればこんな話も昔話ではなくなる。

  私の爺婆さんの話でも、海から300kmほどの松本市内の小さな支流までサケやサクラマスなどが遡って産卵していたことを聞いたことがある。今回のようにダム開放による本来の流れを見てしまうと、ダムの老朽化、川の連続性など様々な問題があるのだが、「ダム撤去」も選択肢として必要ではないのかと思えてくる。

  信濃川流域で里の衰退がいわれて久しい。そういう先入観を払拭してくれたのが十日町市(旧塩沢地区)の町づくりであった。

    鈴木牧之記念館など文化的な施設と町並みを統合した設計が面白い。人々に経済的な余裕(バブルのような欲張ったものでない)ができれば、自然に対する見方も大きく変わってくる。地域の歴史に根ざした固有の文化をどう継承し、活かしていくか感性の豊かさがとわれる課題だ。自然の美しさの中で豊かな社会を目指したいとの思いを新たにしたツアーであった。

 

(「奔流」第4号から)

「第1回千曲川エコツアー」に参加して

〝千曲川への熱い思い〟に感動

上田昌文(NPO法人市民科学研究室・代表)

2010年5月28日(金)~29日(土)

第1日:長野駅~馬曲温泉~東京電力信濃川発電所~戸刈温泉に宿泊

第2日:戸狩温泉~千曲川ラフティング見学~福島新田(三部)の棚田
    ~阿弥陀堂セット~神戸のイチョウ~飯山市常盤地区活性化センター

  梅雨明けを迎える日本列島をゲリラ豪雨が襲い、各地で深刻な被害が相次いでいる。5月28日に10名で訪れた千曲川流域・飯山盆地は大丈夫だったろうか。現地を案内してくださった飯山市議会議員の大野峯太郎さんをはじめ、地元の「水害・治水を考える会」の皆さんが危惧しておられる。「西大滝ダムによる塞ぎ上げがもたらす洪水」が、この夏にも現実になりはしないのか。その巨大なコンクリート壁と鉄パイプ群を目にしたのは、小布瀬(北斎が晩年を過ごし景勝の地)から始めて、馬曲(まぐせ)温泉(木島平村)の風呂や管理棟などの電力をまかなう小水力発電施設(2kw+9.5kw)を見学した後だっただけに、その対照が目に焼き付き、心を離れない。

    だが、その夜一泊した彩りの宿「かのえ」での宴席で、女将の極上の手料理とともに、ご長男の庚敏久さんから、カヌー・スクールで実践している見事な環境・地域再生教育のお話も伺えて、千曲川への熱い思いが世代をつないでる様に希望を感じた。翌日は日本の棚田百選にも選ばれている、福島棚田の里を訪れたが(映画「阿弥陀堂だより」の舞台であり、その堂の建物は保存されていた)、千曲川を広く見渡せる素晴らしい景観を楽しむ一方、高い所の棚田ほど耕作放棄が目立っている現実が痛々しかった。

    北信濃の旅の最後は、「千曲川・信濃川復権の会」の設立総会と記念講演会で締めくくられた。総会では、同会の立ち上げに奔走されてきた共同代表のお一人、矢間秀次郎さんの、「水基本法」「ダム撤去推進法」にかける迸るような熱意の表明に改めて心を打たれた。また、高橋裕さん(東大名誉教授)の講演は、歴史の事例を紹介しつつ、日本に「公水」「水と共生する社会」の考え方を軸に据えた総合的な水行政が不在である点がいかに問題を大きくしてきたかを照らし出していた。一泊二日といえども、長年の蓄積を活かして周到に準備された体験ツアーが、どれほど濃密で印象深いものとなるかを、今回の参加者の皆さん全員が実感したことだろう。

 

(「奔流」第2号から)